傍目八目

日々の思いをつらつらと

読書とお米のこと


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開高健さんの「ロビンソンの末裔」を読む。

昭和35年の作品で、昭和20年終戦の前日に、北海道の開拓者として移住すべく都庁を退職して東京を出発した家族の話。

再々読。

開高健さんは1930年生まれなので、この作品は作者が30才の時に書かれたはずで、気力や若さや、喜劇的に書いていても、何度も何度も現地に足を運んで書かれた迫力のようなものを感じて。のちに開高健さんがルポルタージュの作品に傾倒していく素地を感じることができる。

 

この作品を読むと、毎回感じるのは、北海道は大変な土地だったのだなということ。

現在ではまるで想像も出来ない未開の土地で、開発した人達の苦労は本当に命がけだったのだということ。

 

極寒の地。凍土。

夏はまだ良いとしても、冬の寒さは命をも奪ってしまうことも希ではなかったと。

 

植物も植えたとして、食べることの出来るモノが育つまでには、何度も何度も失敗をして。  

現在は、北海道といえば食の宝庫のイメージで、肉から魚介類、りんごやブドウなどのフルーツ、ウィスキーやビール、ワインなどの酒類、乳製品、ジャガイモやとうもろこし、

豆類など、北海道ならではのものも沢山あって。

昭和20年代には、まだまだ不毛の地だったとは想像も出来ず。

 

何度読んでも、感動があるのは、今、この地に住んでいるからと思う。

住んでいるから、このような開拓にあたった人達の苦労のお陰で、今の快適な生活があるのだと、感慨深いのだろうと。

 

 

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読書とは、まるっきり関係ないのだけれど、

今日、夕食に無洗米を炊いて食べた。

無洗米は初めて。

お米は、新潟や石川の親類から秋に30キロ、

60キロと贈って頂くので、

無洗米については名前は知っていても

買ったこともなければ、研がなくてもよい、洗わなくてもよいというのが、どうも信じられなかった。糠臭くはないか、洗わないなんて不潔じゃないかなど。

水の節約になる、水の汚染を軽減できる、研がなくてよいので時短になるなど、良いことばかりのようにも聞いてはいたけれど、試すチャンスがなかった。

 

昨日、千葉に住む友人から、無洗米が贈られて。友人の実家で作ったお米とか。

友人のご主人の実家はお米を作る農家さんだとかで。

 

研がずに、水加減だけ、いつものお米より、大さじ1、2杯多くして。

美味しかった。普通に美味しかった。糠臭い匂いもなく、真っ白に輝く炊きあがりだった。

 

無洗米は1991年から、営業米として開発されたとか。

考えてみると、ご飯を提供するレストランでも食堂でも、毎日大量のお米を必要とするところでは、無洗米にすると使う水も節約になり、従業員がお米を研ぐ時間も短縮でき、

無洗米の開発は、ありがたいことだったのだろうなぁと。

 

世の中には、私には未体験の事が、まだまだありそうで。

 

お米にしても、小麦粉にしても、

次々と進化してきていて、

 

ある人がある人のことを、

アップデートしない人だからと評していたのを耳にして、

 

私も、そのように言われないように、

少しは、新しい事々に率先して、体験していかなければと、ちょっと思ったりして。